今年も残りわずか!

2006.12.15

みなさん! お元気でお過ごしでしょうか(^o^)?
Champions on Iceのアメリカツアー以来、なかなか時間に余裕が持てずに、メッセージご無沙汰してしまいました(>_<) ゴメンナサイ!
今年も残すところあとわずかになりました。夏からこれまでの間にも各地アイスショーやイベントを始め、私事にわたり色々と皆様にお伝えしたいことがありました!皆様には、いつも温かく応援して頂き、更には会場で元気を頂いたりしてハードなスケジュールが続いた時にも、お陰様で楽しく乗り切ってくる事ができました!!
ありがとうございますm(_ _)m
少しずつ振り返りながら、お伝えしていければと思います(^_^)/
この数ヶ月間にわたり、Champions on Iceジャパンツアー静岡・仙台公演、
プリンスアイスワールド東京・札幌・大津・帯広・豊橋・青森・笠松公演、
エキスポオンアイス in 豊橋、アメリカでのTribute on IceやFashion on Iceなど...
各地アイスショーやイベントなどで、北海道から沖縄、更にはアメリカ・カナダまで、各地津々浦々珍道中旅(笑)行って参りました!
そして、「アラカワシズカ」がいる@庄内?!という情報を得て・・・ 
私、行っちゃいました山形!!そこはクラゲ世界一を誇る加茂水族館。アシカなど可愛い海の動物たちのショー、いつ以来だったかな水族館に来るのは... なんて思いながらペンギン・アザラシが優雅に泳いでいるプールにやってくると・・・
「シズカちゃ~ん!!」
ん?!
私じゃない・・・(・_・?)
いました!!! まだあどけなく、元気に泳ぐ小さな「シズカちゃん」が!!!!!
今年生まれたばかりだという、かわいいゴマアザラシの赤ちゃんでした(^o^)
もう握手の芸ができる「シズカちゃん」とはじめまして~♪の握手をして、まだ毛も若く柔らかなシズカちゃん、撫でることができました(*^_^*)
こうして、もう一人の「アラカワシズカ」さんとご対面!!ご挨拶して参りました♪♪♪
シズカちゃん!元気に大きくなるのよ(^▽^)/

ゴマアザラシの「シズカちゃん」
Photo by shizuka-arakawa.com

From SHIZUKA

Friends on Ice

2006.07.28

「アイスショーのプロモートってできないかな...? 子供の夢を膨らませてあげられるようなチャリティー...!? 何か温かみがあるんだけど、新鮮な感じの!」
となにげなく思いつき、言った私の言葉に、
「良いねぇ!ではいつ、どういうコンセプトで、どんなスケーターで?」
といきなり興味を持ってくれた人がいた。
そして「善は急げ」とばかりに急ピッチでこの話が進み、このイベントを実現させよう!と、立ち上がってくれた人たちが次々と賛同、これを現実のものへと導いてくれた。

2006年3月。こうして「フレンズ オン アイス」の企画がスタートした。
ショーのネーミング、コンセプト、日程からキャスティング、ショープロデュース全てという大役に挑戦することとなった。
高まるフィギュアスケート人気とは裏腹に、日本のスケート環境はとても良いとは言えない状況の中、フィギュアスケートに夢を抱く子供が増えている。その子供たちの未来は?
そんな夢を持った子供達が一人でも多く育つように、夢を抱けるように・・・
未来のスケーター達のために少しでも手助けできれば!と願い、チャリティーという形で開催することに決めのだが、集まってくれることになった現役スケーターのためであることはもちろん、これが少しでもお役に立てて、これからも今を一番輝いて頑張っていってほしいし、プロスケーターには同じような気持ちで参加してもらえたらいいなと思った。

一緒に練習し、試合を戦い、同じ世代で滑ってきた仲間でショーを作ろう!そう考え、会えたスケーターには直接、会えないスケーターには電話で連絡を取った。
同世代として、中学生の頃から仲良くやってきたアイスダンスの宮本賢二君と有川梨恵ちゃんは引退してしまっているので無理かと思ったが、ダメ元でラブコールしてみたところ、「しばらく人前で滑ってないからできるかわからないけど、是非!」と引き受けてくれた。すごく嬉しかった!賢二くんはダンサーならでは振り付けのアイディアを持っているので、フィナーレの音楽~振り付けを担当してもらう事になった。

そしてショーの中で一番の大役、進行役をやってくれた加藤陽菜ちゃん。彼女には普段からかなりお世話になっている私。大切な友達。ショーをやる事が決まった頃、いつも通り会っていた時に、陽菜が「観に行きたい!」って言うから「はるな!スケートできるじゃん!ショー参加してくれない?」って。笑  そうやって彼女は大役にノミネートされた。

未来のスケーターのため・・・
それは色々な角度から考えられる。今回参加してくれた当に未来のスケーターの2人。
仙台でスケートと出会い、育ってきた2人が仙台を、そして親元を離れなければいけない事情ができた。それは「リンクの閉鎖」。その「リンク」とは私が小学1年生~高校卒業までの11年間を過ごした仙台のリンク。2人は長久保コーチと共に名古屋に引っ越し、スケートを続ける決断を余儀なくされた。そんな2人の小さなスケーターに、練習や試合とはまた別のスケートの楽しみを感じてもらいたいと思い、ショーへ誘ってみた。経験にもなるし。そしてそれは大成功!ショーが終わってから2人に「試合と今日どっちが楽しかった?」と聞くと、2人揃って「今日ーーー!!!すっごい楽しかった!!!」って目をキラキラさせて答えてくれた。将来この2人のスケーターが「プロ」を目指してがんばりたい!と思えるようなプロの世界を作っていけるように頑張ろう!と思った。

こうして友達、スケーター仲間にも助けられ、あの「フレンズ オン アイス」は迎えられた。あのメンバー誰一人として欠けてはならない最高のメンバーだったと思う。
本当にみんな、どうもありがとうm(_ _)m
そしてこのショーに賛同してくださったたくさんのお客様を始め、全ての方々に感謝します!

From SHIZUKA

引退発表とプロ宣言

2006.07.26

「引退」スポーツの世界でこの言葉は「終わり」を意味する。
私はアマチュアの競技生活を終えて、「プロスケーター」としてスタートすることを決めた。
それは2年前・・・世界選手権で優勝し、帰国した時に言おうとしていた言葉だった。

2シーズンさかのぼった2003年のスケートアメリカの前。
私は大学4年、ほとんど単位を取り終え、アメリカで卒論を書きながらずっと進路の事で悩んでいた。
そして、当時指導を受けていたキャラハンコーチに
「私は競技よりもアイスショーで滑りたいから、このシーズン限りでアマチュアを引退しようと思います。」
と打ち明けた。すると、キャラハンコーチは
「それなら、このシーズンは自分の名前を1人でも多くの人に覚えてもらい、試合にはショーのオーガナイザーが来ている事が多いから、どんなショーであれ、ショーに呼んでもらえるように自分をセールスする気持ちで試合を滑りなさい。」
とアドバイスをくれた。
「そうか!競技生活やれるだけやって満足できる終わり方をみつけよう!」
私の心の中で何か絡まっていたものが緩み、少し気持ちが楽になった。それと同時にスケートに対する「目的」がはっきりしてきた事によって、進もうとしてもうまく自分をコントロールできないでなかなか進めずいたのが、少しずつ前に進み出した。

大好きなスケートを続ける。競技からアイスショーという舞台へ・・・

こうして私の「アマチュア引退満足計画」はスタートした。
あれから2年、いやもう3年が経とうとしている。
私は本当に幸せなことに、アマチュア生活に満足でき、晴れてプロスケーターとしての道に進むことになった。

2006年5月7日
19年間続いたフィギュアスケート、アマチュアとして過ごす最後の日。
もしかしたら淋しく思うのかな... なんて少し思っていたのだけど、すごく晴れ晴れとすっきりしていた! 少し嬉しかった。
朝、リンクでバックステージを歩いていた時、何だか色々なことを思い出して懐かしく感じた。
私は本当にここまで続けて満足できた事を実感した。
何を最後に滑ろう...

私は「You Raise Me Up」を滑った。これが私の気持ちだった。

そして記者会見会場に向かった。
緊急だったにも関わらず、予想より多くのメディアの方々が集まってくれていた。
前日に少し情報が飛びかってしまったのは残念だったが、
私は私の口から「アマチュア引退・プロ宣言」したかった。

なぜ5月7日を選んだのか?
「フィギュアスケートの
 フィギュアスケートによる
 フィギュアスケートのためのイベント」
を私は「プロ」として立ち上げたかったから。
それが「FRIENDS ON ICE」
やっぱり持つべきものは「友」です!
みんな忙しいスケジュールを縫ってアシスト、参加してくれました。

From SHIZUKA

A Dream comes true!!

2006.07.19

私の夢・・・子供の頃、いつも七夕のたんざくに
「オリンピックに出られますように!あらかわしずか」
願いを込めて書いたのをよく覚えている。それは8年前、長野オリンピックで叶う事となったが、まさかその先、ましてや8年後にもう1度オリンピックの舞台に立てるなんて思ってもみなかった。

最終滑走者が滑り、点数が出た瞬間・・・何が起こったか!
「メダル?!メダル???」
私は頭が真っ白になって、ひたすら誰かにそう聞いていた。今思えばそう聞くのが精一杯だった。
よくよく考えれば最終滑走者が滑る時点でもうメダルは確定していたのだが、それにしても自分がオリンピックでメダルを取る?ましてや金メダルを取るなんて信じられない!!
本当に驚いた! 「嬉しい」とか「やった!」という感情はすぐには沸いてこず、夢なのか現実なのかドキドキドキドキしてきてしまって・・・(@_@;)
「私が金メダル取ったの?!本当に?!えーーーーーーーっ!!!!!!!!!!」
その日から数日間、メディアセンターを走り回って眠れない日が続いた。
夢だった「オリンピックのエキシビション」で滑った時は身体がボロボロだったはずなのに、その時ばかりは活き活きしていられた。本当に嬉しかったし、楽しかったし最高に気持ちよかった!
You Raise Me Up・・・歌詞もメロディーも私のお気に入り♪ 「Raise me up」はイタリア語で「Tira mi su」。後にうちにやってくる愛犬の名前となった。

今こうしてその時の様子を振り返っていると、オリンピックで金メダルを取った事が本当に嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくてしょうがない!
感じるの遅っ!!オリンピックとっくに終わって、もう夏まで来てますから~~~(^^;)
オリンピックから数ヶ月経ったけど、実感が沸いてこうして全てを冷静に振り返られるようになって思い出すと、金メダルの瞬間がいかにパニックだったか自分でもおかしくて笑ってしまう(^o^;)
今になって嬉しくはしゃいでる私を皆さんどうか、そんな私をお許しくださいm(_ _)m

From SHIZUKA

19年間の想いを込めて...☆

2006.07.14

「今日は19年間の競技生活最後の舞台になるかもしれない!心から楽しんで、その全てを記憶に焼き付けたい☆」
そう思ってリンクに立った。そしたら不思議と落ち着いて、観客席も周りも全てがよく見えた。
いよいよ名前がコールされ、リンクの中央に向かった。この瞬間最も緊張する瞬間。
そしてもう1つ。
「今日は鼻をすすらない!」
それはショートプログラムの時に曲の鳴る直前に何気なく鼻をすすったのが、画面アップで捉えられてしまい、「おぉ!まずい、フリーでは気をつけよう!」と思ったからでありました...。笑
TURANDOT・・・私の好きな曲。
まずは最初のジャンプ、朝の練習で3+2でとコーチと決めてあったので、これを確実にクリア。そして2つ目のジャンプへ。ここで3+3をやる予定だったが、1コ目のジャンプを踏み切った瞬間「ダブル」とっさの判断だった。たぶんトリプルをやっても失敗はしなかったと思えるジャンプだったが、2コ目を力で飛んでランディングが少しでもぶれた場合に判定にマイナスがつく。それであれば、確実にキレイなダブルでプラス点を稼いだ方が良いという判断。今日はマイナスはいらない!
中盤、1つジャンプがダブルになったが失敗ではない。その証拠にマイナスはついていなかった。通常、予定していたトリプルがダブルやシングルになった場合、マイナスをつけるジャッジもいるが、今回は回転がぶれずに上手くまとまったからだろう。良かった~~~というかジャッジの一人にプラスまでつけてくれている人がいた(^^;) おぉ!
そして今や驚くほどの知名度となった「イナバウアー」からのジャンプコンビネーションは、音楽がすごく心地よく感じられ、何よりそこでお客さんの歓声が忘れられないほど嬉しかったし、気持ちよかった!
もうそこからは最後の最後、ポーズを取る最後の瞬間まで気を抜いてはダメ!でもこれまでの数々の試合、練習色々なことを思い出しながらこられまでやってこられた事に満足、嬉しい気持ちいっぱいで最後のストレートラインステップを踏んでいました。

私をここまでつないでくれた、一緒にがんばってくれた全ての「TEAM ARAKAWA」ありがとう!!!!!

From SHIZUKA

Team ARAKAWA vs OLYMPICの魔物 最終決戦!

2006.05.02

誰もが緊張していた。たぶん...
FREE当日の朝の練習では、集中した手際の良い調整ができました。ニコライが私がエレメンツを回数やり過ぎないよう、上手く進めてくれたので。
選手村に戻り、試合まで時間がすごく空いていたため、またお気に入りバスバブルで熱めのお風呂に入り、ポカポカのお昼寝タイム zzz 身体が少し疲れているように感じたので、長時間寝てだるさが出てこないよう、疲労回復とエネルギーチャージが出来る程度の1時間くらいを目安に眠り、パッと起きることにしました。
そしてお目覚めのお散歩は、お決まりになっていた橋を渡ったモールへ。最初に飲んだカフェのラテ・マキアートがちょっとイマイチだったので、気を取り直してもう1件やり直しです。カプチーノで。いわゆる「ハシゴ」ですかっ!?(笑)こうして1時間くらいお茶し、気持ちイイ青空の下をてくてく歩いて選手村へ戻って行ったのでした。
4時間半前。
「本日試合前最後のメニューは、納豆とじゃこ玄米ご飯・梅干し・金芽米です。うわぁ~金の芽がある~(←これ自分のマネ 笑)そしておみそ汁などなど~ちょっと食べ過ぎです?!」とか言いながらそこら辺にいた人たちの笑いを取って満足げな私。チームトレーナーの加藤先生にビデオを撮って頂いたり、自分で撮ったりと、今回チーム全員がもらったビデオカメラは大活躍でした!
1時間半前。
Palavelaに向かうバスの中、隣りに座った大ちゃん(高橋選手)と「私、緊張しております!(荒川)」「ぜんぜんしてないやん!(高橋)」とか言いながらビデオ日記していたらあっという間に会場に到着!こういう映像は後で観ると本当におもしろいですね(*^_^*)撮っていて良かったです。
1時間前。
3階のウォーミングアップエリアでいつも通りアップをし、集中しつつリラックスは忘れずに!
20分前。
下に降り、着替えて靴を履いて準備完了。第3グループの終わりを待つ。この時からコーチの言う言葉以外の何物も見ず聞かず、ヘッドフォンで外音を遮断していました。この時、You Raise Me Up♪何だか心地イイ曲。
6分間のWarm Up。
やはりオリンピック最終グループの歓声はスゴイ!緊張・集中・リラックス・闘争心...

From SHIZUKA

Shizuka ARAKAWA 66.02

2006.04.27

ショートプログラム、ノーミス!3rd Place!!
お願いだから最初と最後じゃないとこ... と願って始まったDraw。グループの最初はWarming Upを短めに切り上げないといけないし…本来、後に滑る方が採点競技では得な感じはするが、このオリンピック私の中では祭典競技ということで(というか余計な事を考え始めてしまう前に滑りたかった私なのですが(^^;))。
上位からDrawが始まり・・・ Sasha 20th、Irina 24th!
「おぉ、出た!ちゃんとLastに盛り上がるように出来てるんだね~~~!!」
とか言いながら、最後の運命を決める私の番。ドキドキ.....
Shizuka ARAKAWA 21st!
そして再び21番(^_^) またまた21番には特に何も感じなかったのでした~~~ 良かったのだろうか?!(笑)
こうしてFREEの滑走順も決まり、選手村に戻って来た時には24時を回り、日付が変わって2月22日。
久美子先生、Happy Birthday♪
戻って早速私は準備してあったプレゼントを持って、久美子先生と信夫先生のお部屋を訪問。
「お誕生日おめでとうございま~す!!」
久美子先生60歳還暦。こんな記念すべき大切な日を、佐藤夫妻とご一緒させて頂き、何より笑顔で迎えられたことは本当に光栄に思いました。先生の嬉しそうな顔を見て、私は「オリンピックが終わった時、先生とこんな顔でいられたらいいな~」な~んて...
そして最終決戦まで40時間余り。
いかに自然体で冷静に、これまで慎重にコントロールしてきたもの、すなわち静香的「オリンピックへの心得」から気持ちが逸れることなく、そしてゆったりと楽しんで過ごせるかが、私にとって最大のポイント。
SHORTの翌日、午後に軽めの調整をし、夕方には久美子先生と橋を渡った先のモールで私の両親と待ち合わせをし、再び恒例のジェラートタイム。その後、WASABIという日本食レストランにて夕食。なかなか会えない両親も楽しそうで、久美子先生のお誕生日をお祝いしたり、和やかな時間が過ぎていきました。
こうして、いよいよ最後の朝...

From SHIZUKA

TORINO OLYMPIC・・・Not「Competition」it's「Game ^o^/」

2006.04.24

-2月中旬-
トリノに入ってようやく1週間が経ち、フィギュアスケートも各カテゴリーが終了していく中、女子にもやーーーっとSHORTのDrawingの日がやってきました。1人棄権29人スタート、私は21番滑走4グループ目の4番目となりました。引いた瞬間、特別良いとも嫌とも思いませんでしたが、ただ1つ...「製氷無しか~ 溝には十分注意...(ルールを変えた伝説の大ハプニング!!!以来、トラウマ 笑)」とだけ。
SHORT前日には、選手村から歩いて橋を渡った先にあるモールで、1番BIGサイズのジェラートをわざわざ食べに行き(これまでジンクスは持たないできたが、全日本のSHORTの前日に45分並んでも食べたかった某アイスクリーム屋さんのGotta Have It食べて試合に臨んだらたまたま(?!)うまくいき、FREEの前日には食べなかったらイマイチだったのでこれは是非食べた方が良いと思い。)、その後、日本から応援に来てくれた両親と一緒に食事をして和やかな時間を過ごしました。
そしてSHORT当日。朝は良い緊張感で短時間で集中した練習ができ、選手村へ戻り、お気に入りの入浴剤でポカポカになってそのまましばしおやすみtimeへ...zzz いつもであれば身体が眠りに入りきってしまわないよう45分~1時間以上は眠らないようにしているのですが、今回は練習から試合までの時間がかなりあいている事・試合時間が夜遅い事もあり、気持ちよく数時間眠りました。目覚めた時、頭はすっきりしていたのですが、天気も良かったので身体を起こすためも兼ねて外の空気を吸いに散歩に出ようと思ったところで、前日に試合を終えその日のんびりしていたアイスダンスの木戸さんとお茶しようという事になり、良い散歩コースなので橋を渡ってモールに行き、ラテ・マキアートとカプチーノを飲んでしばし歓談した後、戻りました。
試合4時間半前に、なるべく腹持ちが良くエネルギーになる食事を取り、メークをしたり準備をし、SHORTでは髪をハーフアップにして下ろした部分を巻きたかったので、選手村にある美容院で予約して行ってみました。普段こうして試合前にヘアメークをしに行くことはないのですが、今回は選手村内の施設もオリンピックの一環として楽しめたらいいかなと思い、行ってみる事にしました(^_^)
こうして試合に臨む準備も整い、会場のPalavelaに向かいました。
いつも通りのウォーミングアップをし、ギリギリまで迷っていたコスチュームは新しく作った方に決め(黒×赤と新しく作った赤×白のどちらにするかを直前の直感で決めた)、前のグループの最終滑走者が滑り終わるのを待ちました。コーチのニコライから「今日は最初のコンビネーションジャンプは3+2でいいよ」と言われ、調子の良いときほど出る「3+3 or 3+2」の迷いが消え、ジャンプに囚われず1つ1つの事に集中し、頭を軽快に切り換えていく心の準備ができました。
決められたエレメンツを確実に正確にこなしていかなければいけないショートプログラムは本当に緊張するものですが、この時の緊張感は良い集中力を引き出していたように思います。
そして最後に言われた言葉・・・Smile!
今、その時の映像をみて思うこと・・・「私、いい顔して滑ってたんだ!」

次はSHORTが終わってからの感想などを書こうと思います!

From SHIZUKA

シムスベリーより

2006.04.18

こんにちゎ~~~(^o^)/
早いもので、4月ももう半分過ぎてもうすぐオリンピックから2ヶ月が経とうとしています!
私は現在アメリカにて新しく振り付けをしているのですが、この時期は気候もだんだん暖かくなって、リンクの雰囲気も何だかほのぼのとしていて、みんな気持ちもゆったりしているので、私はここの春~夏にかけての時期が大好きです♪
そして、やっと色々なことを振り返る時間が出来たので、今回はTorino Olympicの時のことについて書いていきたいと思います(*^_^*)

―2月初旬-
練習場所のシムスベリーからグルノーブル(フランス)へ行き、ヨーロッパの時差に慣れる事も兼ね、1週間合宿をしました。どんな所なのかわからないまま出発し、少し不安もあったのですが、サッカーグルノーブルの大黒選手やそのチームの選手とお会いすることができ、練習も観に来て応援してくださり、その1週間温かな雰囲気で過ごすことができました。
そして日本チームが合宿地として選んだクールマイヨールでの数日間の合宿を経て、時差にも慣れ、いよいよTORINOに入りました。
女子の試合日程が最後なため、練習に行くとまだ他の国の選手もあまり来ておらず、日本女子の中で1番最初に入った私は、一人だけの時もありました(^^;)
何より驚いたのは、そんな状況でも毎日毎回、日本の各局メディアの方々がいらっしゃった事でした。初めの方はまだ私一人でもご足労いただき、何だか申し訳ない感じでしたが、試合に近づくにつれ、だんだんと他の選手も入り始め、活気が増していきました。
2月16日、大ちゃん(高橋選手)の応援はもちろん!試合の雰囲気を少しでも感じられたらと思い、男子フリー第3グループから会場へ足を運びました。世界に出る事もないまま、夢の舞台として立っていた長野オリンピックから8年、世界で戦える技量を持って臨む今、4年に1度しかない特別なチャンスをかけて戦うとはどういうものなのか、私は事前に知り、心構えておく必要があると思いました。
今思えば、オリンピックを目指す最後のチャンスになるだろうこの大会に、自然と私は本気で向かい、全力を出し切ることにかけていたのだと思います。そのためにはどんな心構えでいるべきか...
その見つけた答えが
「心穏やかに、気持ちは強く・・・このオリンピック全ての瞬間を心に刻むため、常に冷静にその瞬間をただ純粋に楽しむこと」でした。

次回は試合に向けてどのように過ごしたかを書きたいと思います!それでは~チャオ~!

From SHIZUKA

ありがとう p(^o^)q

2006.03.01

やーーーっと日本に帰ってきました~~~!!
オリンピックの期間中は HP の更新が禁止されてメッセージ書けなかったのですが、皆さんの温かい応援にいつも元気をもらってがんばっていました~ (*^_^*)
そして Big な最高の報告「金メダル」を持って帰って来ることができた事は、本当に多くのご支持ご声援いただいたおかげなので、本当に本当にたくさんの方々に感謝です m(_ _)m
この「金メダル」が今後一人でも多くの人の希望・勇気・元気につなげる事ができたら私は幸せと思うし、メダルの重みと輝きのように私自身、もっともっと輝いていけるようにこれからも楽しく、そして努力したいと思います。
  今回、2度目のオリンピックを終えて感じた事は、やはりオリンピックは「 Winter Games( 冬の祭典)」 というように、すごくビッグでスペシャルなイベントで、その雰囲気を楽しむ事ができたらプレッシャーがすごい力に変わるんだな~~~ (>o<)b という事。その最高の舞台に立てた事も、そして楽しいと感じて過ごせた時間も、私にとって全てが大切な良い思い出になりました!
  昨日帰国して、思ったよりも忙しく時間がなかなか取れず、まだまだいっぱいお伝えしたい事はあるのですが、短いメッセージになってしまいまうのですが...また少しずつご報告させていただきます (>_<)
まずはどうしても皆さんに近況報告と「ありがとう!!!」を言いたかったので、本当にオリンピックは早朝にもかかわらず応援どうもありがとうございました☆★☆
それでは、また~~~

From SHIZUKA

New year 2006☆

2006.01.13

新年のご挨拶、遅くなってしまいました!
新ためまして
HAPPY NEW YEAR !!
今年もどうぞよろしくお願い致します m(_ _)m

年末のメッセージを書いてから、本当あっっっっっっっという間に気がつけば1月も中旬まで来ていました (^^;)
年末に渡米し、年明けのTORINO合宿に参加するため、31日~1日私の人生初となる年越しフライトで新年を迎え、5日間の合宿を経てそこから渡米し、再びアメリカ生活に戻って参りました~~~ (^_^)
飛行機の中で年越しだったので、実のところ・・・
年明けがどのタイミングだったのか気づきませんでしたーーーーー (-_-;)  悲
というわけで、トリノでチームに合流して新年の挨拶を交わした時にやっと
「そういえば、明けたんだ~~~ (^o^;) 」
と、そこでめでたく思ったのでした。
トリノはまだ準備が整っていない部分がところどころ目につき、大会までに間に合うのかと心配になる事もややありましたが、会場のリンクは問題も無さそうで、
「ここで滑るのか~~~~~ ♪ 」
なんて、本番が楽しみです p(^o^)q

そして突然ですが、ここで皆様にサプライズです!!
TORINOでお土産を買って参りました~ (^ ヮ ^)/  イェイ!
いつも応援してくださっている皆様にこれからもこのHPを観覧いただける事を願って、PCのお伴・・・トリノオリンピックオフィシャルグッズからマウスパッドを選んでみました ♪
3名様にプレゼントさせて頂きたいと思いますので、是非是非応募、そしてオリンピック応援してくださいネ ☆★☆★☆

ではでは、引き続きオリンピックに向けてアメリカでの練習、頑張って参りますっ!!
CU~ SOON

開幕までのカウントダウンが既に始まっています。
後は会場となるパラベラのリンクです!
Photo by shizuka-arakawa.com

From SHIZUKA