「引退」スポーツの世界でこの言葉は「終わり」を意味する。
私はアマチュアの競技生活を終えて、「プロスケーター」としてスタートすることを決めた。
それは2年前・・・世界選手権で優勝し、帰国した時に言おうとしていた言葉だった。
2シーズンさかのぼった2003年のスケートアメリカの前。
私は大学4年、ほとんど単位を取り終え、アメリカで卒論を書きながらずっと進路の事で悩んでいた。
そして、当時指導を受けていたキャラハンコーチに
「私は競技よりもアイスショーで滑りたいから、このシーズン限りでアマチュアを引退しようと思います。」
と打ち明けた。すると、キャラハンコーチは
「それなら、このシーズンは自分の名前を1人でも多くの人に覚えてもらい、試合にはショーのオーガナイザーが来ている事が多いから、どんなショーであれ、ショーに呼んでもらえるように自分をセールスする気持ちで試合を滑りなさい。」
とアドバイスをくれた。
「そうか!競技生活やれるだけやって満足できる終わり方をみつけよう!」
私の心の中で何か絡まっていたものが緩み、少し気持ちが楽になった。それと同時にスケートに対する「目的」がはっきりしてきた事によって、進もうとしてもうまく自分をコントロールできないでなかなか進めずいたのが、少しずつ前に進み出した。
大好きなスケートを続ける。競技からアイスショーという舞台へ・・・
こうして私の「アマチュア引退満足計画」はスタートした。
あれから2年、いやもう3年が経とうとしている。
私は本当に幸せなことに、アマチュア生活に満足でき、晴れてプロスケーターとしての道に進むことになった。
2006年5月7日
19年間続いたフィギュアスケート、アマチュアとして過ごす最後の日。
もしかしたら淋しく思うのかな... なんて少し思っていたのだけど、すごく晴れ晴れとすっきりしていた! 少し嬉しかった。
朝、リンクでバックステージを歩いていた時、何だか色々なことを思い出して懐かしく感じた。
私は本当にここまで続けて満足できた事を実感した。
何を最後に滑ろう...
私は「You Raise Me Up」を滑った。これが私の気持ちだった。
そして記者会見会場に向かった。
緊急だったにも関わらず、予想より多くのメディアの方々が集まってくれていた。
前日に少し情報が飛びかってしまったのは残念だったが、
私は私の口から「アマチュア引退・プロ宣言」したかった。
なぜ5月7日を選んだのか?
「フィギュアスケートの
フィギュアスケートによる
フィギュアスケートのためのイベント」
を私は「プロ」として立ち上げたかったから。
それが「FRIENDS ON ICE」
やっぱり持つべきものは「友」です!
みんな忙しいスケジュールを縫ってアシスト、参加してくれました。
From SHIZUKA